モンテディオプレスぷらす「杉井颯選手インタビュー【上】」
【モンテディオ山形】「絶望の淵から、もう一度前を向く」 DF杉井颯、挫折と逆転のフットボール人生
柏レイソルのアカデミーで育ち、高卒でプロの門をたたいた杉井颯。端から見れば「エリート」の歩みに見えるかもしれない。しかし、その裏側にあったのは、家庭環境の激変に荒れた中学時代、そしてプロ入り後に突きつけられた「戦力外通告」という冷酷な現実だった。21歳にして引退を考え、指導者の道すら見据えていた男は、いかにして再びはい上がり、山形の地へとたどり着いたのか。不屈の左サイドバックが赤裸々に語る、これまでの歩みと再起の物語。(取材日:2026年10月22日、写真は明治安田J2リーグ戦より)

3兄弟の末っ子。兄の背中を追い掛けて
Q:まずは、杉井選手のルーツから伺います。「颯(はやて)」というお名前、今のプレースタイルにぴったりですが、由来は?
実は、両親に聞いても特に深いこだわりはないって言われるんですよ(笑)。画数や語呂が良かったということで決めたみたいで。でも、足の速い今の自分を考えると、本当にいい名前を付けてくれたなと感謝しています。
Q:サッカーを始めたきっかけは、やはりお兄さんの影響ですか。
そうです。3人兄弟の末っ子で、2歳上の次男が幼稚園のサッカースクールに通っていたんです。そこに4歳ぐらいの時から混ぜてもらってボールを蹴り始めたのが最初ですね。でも、実は小学校の時は野球がやりたかったんですよ。
Q:えっ、野球ですか?
長男が野球をやっていたんですが、当時は指導が本当に厳しくて。母にお願いだからサッカーにしてと頼み込まれて。まあ僕もサッカーは好きだったので、いいよ、と。今思えば、あの時の母の言葉があったからこそ、今のプロサッカー選手としての自分があるんですよね。
Q:小学校時代の思い出は。
最初は兄と一緒に流山隼少年団にいました。僕はとにかく負けず嫌いで、試合に負けると泣いて。それで母が小4の時、「颯はもっと勝負に徹するチームに行ったほうがいいんじゃない?」と、クラブチーム(柏ラッセルFC)に移りました。そこには上手い選手がたくさんいて、刺激になりましたね。時間があれば近所にあったフェンスに向かってボールを蹴っていて、そのフェンスが壊れると上の兄が直してくれた。ちなみに兄たちとは仲が良くて、特に真ん中の兄はサッカーをやっていたこともあって僕の試合を全部観てくれて、感想を送ってくれる。すごくいい兄です。
黄色の“壁”と「中二病」の暗闇
Q:柏レイソルのジュニアユース(U-15)には、どういった経緯で加入したのでしょうか。
スカウトしていただいたんです。柏ラッセルはレイソルの提携クラブだったので、練習試合をよくやっていたんですね。そこでプレーを見てもらえて。ある時、レイソルに行きたい?と声をかけてもらって、即答で行きたいです!と。そしたら翌日には内定が出たんです。

Q:しかし、中学時代は順風満帆ではなかったと伺っています。
中学時代は、自分の人生の中でも一番荒れていた時期でした。中学に上がるタイミングで両親が離婚して、生活環境がガラッと変わったんです。家もつまんない、学校もつまんない。僕自身がいわゆる中二病になってしまって。学校はサボりまくるし、先生には反抗する。親には本当に迷惑をかけました。
Q:サッカーの方にも影響が?
はい。そもそも小学校の全国大会で準優勝した柏レイソルU-12(※)のメンバーが中心で、レベルが全然違う。練習はきついし、私生活も不安定。サッカーが全然楽しくなくなってしまったんです。なんのために生きてるんだろうって本気で悩んで、サッカーを辞めることばかり考えていました。でもある時、学校に呼び出された母が、僕の身勝手な行動のために先生に泣きながら謝っている姿を見てしまったんです。あの瞬間に、心に突き刺さるものがあって…。中2の途中でようやくもうサッカーしかない、これで生きていくんだと腹をくくることができました。
Q:そこから再びサッカーに打ち込むようになったのですね。
自分が一番下手なんだから頑張ろうって、自主練もめちゃくちゃやりましたね。練習が始まる1時間前にはグラウンドに着いてボールを蹴っていました。そして学校では、駅伝部に所属していて、クラブの練習がない日は駅伝の練習もしていたんです(!)。真面目になった3年の時は、駅伝の大会にも出場して。今のスタミナはそのおかげかもしれません。不思議なもので、学校で真面目に学級委員なんてやるようになったら、U-15の日本代表に選ばれたりして。自分の行動一つで人生が変わるんだ、という成功体験になりました。
大逆転のトップ昇格と「クビ」からの再起
Q:ユース(U-18)時代を経て、トップ昇格をつかみますが、そこでも大きなドラマがあったとか。
ユースではキャプテンを任せられて、自分にできることを考える時期になりました。サッカーにひたむきな仲間ばかりだし、誰かの心が離れることもなく、楽しかったですね。高3の5月の段階では、クラブからトップ昇格の可能性はゼロですとはっきり言われていたんです。13人いた同期の中で、僕は昇格できないグループにいました。それで筑波大学や横浜FCから呼ばれて練習に参加して、気持ちはそちらに傾いていました。でも夏の全国大会の後、急転直下、トップ昇格が決まったと告げられ…。運と巡り合わせの大逆転でしたが、プロにはなりたかったのでうれしかったですね。
Q:待望のプロ生活。スタートはいかがでしたか。
1年目はJ2に落ちた柏レイソルでのスタートでした。この中では自分が一番下だな、頑張るしかないな、と頑張りました。ルヴァンカップでチャンスをもらったんですが、強度になれなさすぎて前半で足がつったり。試合経験を積むためプロ2年目はツエーゲン金沢、3年目はガイナーレ鳥取と期限付き移籍を繰り返しました。
Q:移籍先での苦労も多かったようですね。
金沢では自分の守備の課題を克服しようと思って行ったんですが、スタイルの違いに戸惑い、自分を表現できなかった。鳥取へ行っても、今度は金沢とのスタイルの違いに戸惑い、チームは最下位。このままでは契約が終わる、やばいやばいと思い詰めて夜は眠れない、パフォーマンスが下がる…の悪循環でした。最終的には柏からも鳥取からも契約満了、つまりクビを言い渡されました。21歳で戦力外。正直、終わったなと思いました。引退して指導者の道に進もうかと、本気で考えていましたね。
Q:そこから現役を続ける決断をした理由は何ですか。
レイソル時代にお世話になったコーチに電話で相談したんです。そしたら大学3年生と同い年の他の選手たちが、死に物狂いでプロを目指している中で、一度その舞台に立ったお前が今やめるのかと言われて。その言葉が深く刺さりました。プライドなんて捨てて、もう一度泥水をすすってでもやろうと。
Q:それでトライアウトへ。
そうです。これまでお世話になったJ3の先輩たちにはトライアウト経験者もいたので。「行かなくて後悔するんだったら、行って後悔した方がいいだろ」って言ってもらえたのが大きかったですね。そしてトライアウトを受けて、AC長野パルセイロが僕を拾ってくれた。そこが、僕のプロ人生の第二のスタートになりました。あそこで辞めなくて、本当に良かったです。

キャリアのどん底からはい上がり、長野、鹿児島を経て山形へとたどり着いた杉井颯。後編では、山形移籍を決めた知られざる熱いエピソード、J3とJ2の驚くべき違い、そして「山形はこんなもんじゃない」と語る杉井選手が見据える「格好いい逆転劇」のシナリオに迫ります。
※2012年の全日本少年サッカー大会決勝は新座片山FC少年団(埼玉県)vs柏レイソルU-12(千葉県)。そこでは現在モンテディオ山形に在籍する寺山翼(新座片山)と森海渡(柏)が対戦し、寺山が2ゴール、森が1ゴール決めている。
【プロフィル】すぎい・はやて=2000年5月17日生まれ、千葉県出身。177cm/72kg。柏レイソルU-15、U-18を経て2019年にトップチーム昇格。ツエーゲン金沢、ガイナーレ鳥取、AC長野パルセイロ、鹿児島ユナイテッドFCを経て、2026年7月にモンテディオ山形に完全移籍。圧倒的なスタミナと高精度の左足を武器とする。
〈これまでのプレスインタビュー〉
◎佐藤瑠星選手(2026.10.10掲載)(リンク:https://yamagatadoor.com/montedio/1894)
◎氣田亮真選手(2026.09.25掲載)(リンク:https://yamagatadoor.com/montedio/1848)
◎坂本稀吏也選手(2026.05.23掲載)(リンク:https://yamagatadoor.com/montedio/1519)
◎岡本一真選手【後編】(2026.05.09掲載)(リンク:https://yamagatadoor.com/montedio/1434)
◎岡本一真選手【前編】(2026.05.02掲載)(リンク:https://yamagatadoor.com/montedio/1441)
◎寺山翼選手(2026.04.11掲載)(リンク:https://yamagatadoor.com/montedio/1338)
◎南秀仁選手(2025.11.28掲載)(リンク:https://yamagatadoor.com/montedio/542 )
◎堀金峻明選手(2025.10.18掲載)(リンク:https://yamagatadoor.com/montedio/446)





