モンテディオプレスぷらす「岡本一真選手インタビュー」【前編】

2026.05.02

【前編】【モンテディオ山形】ひたむきに成長を追い求めるDF岡本一真。Suicaと水筒と通った小学生時代と、中学生での大きな挫折

「あまりしゃべらない」――そんな定評のある彼が、この日は1時間20分にわたり、熱を帯びた言葉で自身のサッカー人生をたっぷりと語ってくれた。
モンテディオ山形の最終ラインで無尽蔵のハードワークと対人の強さを発揮し、攻守に躍動するDF岡本一真選手(22歳)。4歳でボールを蹴り始めてから今日まで、「サッカーが好きだから、もっとうまくなりたい」という純粋な思いを原動力に走り続けてきた。
インタビュー前編となる今回は、現在のチーム状況から、Suicaを片手に一人電車でグラウンドに通った幼少期、そしてサッカー人生で直面した最初の「大きな挫折」まで、岡本選手の強さのルーツに迫る。
(取材日:2026年4月22日、写真は明治安田J2・J3百年構想リーグ戦より)

「チームとして安定してきた」。手応えを感じるモンテディオでの現在地

Q:いつも練習後にご飯を食べて、こういう時間(13:50ごろ)にインタビューにお答えいただく感じなんですか?

そうですね。ご飯食べて、筋トレして、シャワーを浴びて今って感じです。筋トレはプレーのキレにつながるというか、上半身も下半身も、トレーナーに考えてもらったり、自分でも考えて両方やっています。

Q:4月には3連続クリーンシート(無失点)もありました。振り返って、手応えはいかがですか?

もちろん課題はありますが、全体として安定した試合ができるようになってきたという印象です。一番は守備の部分で、「相手にやらせない」というところを細かいところも含めて積み重ねていけている。それがクリーンシートにもつながったと思います。

Q:ディフェンダーとしては、やはり無失点が一番嬉しいというか、手応えを感じる部分ですか。

そうですね。去年の富山戦からずっと失点してきていたので意識はしていましたが、チーム全体として目に見える結果になったのは、結構自信につながりましたね。

Q:岡本選手といえば、運動量が多くてサボらない、1対1でも絶対にやられないという印象があります。モンテディオで3年目の今季、ご自身のテーマや課題はどの辺りに設定していますか?

まずは1対1のところで、自分のストロング(強み)の部分を見失わずにやること。あとは自分があまり得意ではない部分の強化も意識しています。特にゴール前での仕掛けや、クロスに持っていくクオリティはどこに行っても求められると思うので、そこは練習から意識して取り組んでいますね。

Q:ご自身のストロングとは、具体的にどのような部分だと考えていますか?

1対1の局面でボールを奪いきるところまでいければベストなんですが、まずは「ゴールを取らせない」ところと、「絶対に突破されない」ところを一番に意識してやっています。

Q:去年と比べて、ご自身の成長を感じる部分はありますか?

相手のレベルもすごく上がっていると感じていて。マッチアップする選手はスピードがあったり、ドリブルに特徴があったりする選手が多いので、毎回本当に成長していかないと追いついていけないなと思っています。攻撃面でも、以前は味方をうまく使いながら前に運ぶシーンが多かったんですが、それだけではうまくいかない試合もあって。最近は自分で剥がしていくところと、味方を使うところをうまく使い分けられるようにチャレンジしています。

Q:毎日コツコツ、真面目に取り組んでいる印象が強いです。

毎日うまくなりたい、成長したいという思いは常にありますね。どうやったらうまくなれるのかっていうのを、常に考えながらやっています。

 Suicaと水筒を持って電車で通った小学生時代。サッカーが「好きすぎた」

Q:ここからは、岡本選手がどうやってここまできたのか、子どもの頃のお話も伺わせてください。サッカーとの出会いは?

お父さんがフットサルをやっていて。ちっちゃい頃、3、4歳ぐらいの時から家の中にあったボールを勝手に蹴っていたらしくて。そこから4歳でサッカーを始めました。

Q:4歳から横浜F・マリノスのスクールと、名門のバディーSCの両方に通っていたんですよね。

はい。幼稚園の園庭でやっているバディーのサッカースクールに入っていました。年長の時にセレクションを受けて、小学校に入ってからはバディーのクラブチームに入りました。並行してマリノスのスクールにも通っていて、U-10からはスペシャルクラスに入ったという感じです。スペシャルクラスは当時、みなとみらいに練習場があって、“他のチームのうまいやつが集まってくる“という場所でした。

Q:小学校時代はどんなサッカー少年でしたか?

結構ガリガリでしたね(笑)。練習はもう、週1日しか休みがなくて。その1日も別の習い事に行っていたので、ほぼ毎日何かしらやっていました。でも、それがただただ楽しくて。
親に「頑張れ」と言われることはなくて、とにかく自分がサッカーを好きすぎて。「スクールに行きたい」っていうのも自分から言っていました。

Q:サッカーが好きすぎたんですね。遠くの練習場にも自分で通っていたとか。

そうですね。小学2、3年生ぐらいからは、スパイクとリュック、Suicaと水筒を持って、電車で一人で通っていました。

Q:小学校の時はどのポジションだったんですか?

小学4年ぐらいまではずっと真ん中でボランチをやっていて、高学年になってからはサイドハーフをやるようになりました。結構足が速かったので。6年生の時にはマリノスカップなどの招待試合で優勝したり、大きな大会のタイトルを取ったりしていました。当時、周りもみんなうまくて、その中で一番になりたいと思っていたし、「自分が一番うまい」と思ってやっていました(笑)。

中学生での大きな挫折。オスグッドとの闘いと、ユース昇格の壁

Q:中学からはマリノスのジュニアユースへ進みます。

はい。サイドバックになったのもこの頃で。体が小さかったのでフォワードは段々難しくなり、一方で長友佑都選手などが活躍していてポジションとしても注目されていたのでやってみたいと思いました。

Q:この頃に初めての挫折を経験されたそうですね。

はい。中学1年生の秋に成長期の差し掛かりで、オスグッド(成長痛)になってしまって。
全然サッカーができないくらいの痛みで、何を試してもリハビリしても良くならず、1年ぐらいサッカーができませんでした。

Q:1年もプレーできないのは、かなりつらかったのでは?

中1の秋まではサッカーができていたんですが、中2の終わりぐらいまでは全然プレーできなくて焦りました。でも、周りにベクトルを向けるんじゃなくて、自分にベクトルを向けていました。「できない自分を認めてあげる」というか。しょうがないから、今できることをやる。早く復帰できるように頑張ろうと思って、ずっとリハビリをやっていましたね。

Q:その甲斐あって、中3では全国大会でも見事な成績を残されました。

中3の夏にクラブユースの全国大会で3位になって、自分も優秀選手に選ばれました。その時の優秀選手から東西に分かれて試合をする「メニコンカップ」にも東日本代表として出させてもらいました。

Q:そこまで結果を出したのに、ユースに上がれなかったというのはどういう経緯だったのでしょうか。

夏の面談でいったん「保留」と言われていて、最終的に落選したんです。クラブユースで活躍して優秀選手にも選ばれたのに「なんで?」って。かなりショックでした。メンタル的にも結構引きずりましたね。GMからは「クロスの精度」などを要因として言われたと思います。自信があったんですが、きっと何かが足りなかったんですね。けがも含めて挫折を味わった中学生時代でした。

Q:そこから前橋育英高校への進学を決めた理由は?

ユースに入れなかった時から、親元を離れて寮生活をしたいという覚悟はありました。上に行くなら関東圏内で強い高校に行きたいと思っていて。前橋育英と市立船橋の練習に参加して、練習の雰囲気とかサッカーがすごく魅力的だった前橋育英に決めました。本当にサッカーがうまくなるしかないなと思って、「うまくなって見返してやる」ぐらいの気持ちで高校に入りました。

【後編へ続く】 

怪我とユース昇格見送りという挫折を味わいながらも、「うまくなって見返してやる」という強い覚悟で親元を離れた岡本選手。後編では、そこからいかにしてプロへの切符を掴み取ったのか、そしてモンテディオ山形への移籍やオフの過ごし方に迫ります。「頭の中の90%はサッカー」と語る、彼のストイックな素顔とは――。

〈これまでのプレスインタビュー〉

◎寺山翼選手(2026.04.11掲載)(リンク:https://yamagatadoor.com/montedio/1338

◎南秀仁選手(2025.11.28掲載)(リンク:https://yamagatadoor.com/montedio/542

◎堀金峻明選手(2025.10.18掲載)(リンク:https://yamagatadoor.com/montedio/446

◎横内昭展監督(2025.09.01掲載)(リンク:https://yamagatadoor.com/montedio/87

◎中村亮太郎選手(2025.09.01掲載)(リンク:https://yamagatadoor.com/montedio/196

この扉の向こうに、新しい山形を発見。