SPECIAL INTERVIEW『経営の哲学~今、語るべきこと~』第1回_山形パナソニック代表取締役会長
清野伸昭氏

2026.09.04

激動の21世紀を生き抜くための知恵とは―。山形新聞の創刊150周年を記念し、人シリーズ「経営の哲学」として山形県内、あるいは山形県にゆかりがある創業家の経済人らにインタビューし、譲ることのできない経営方針、決して揺るがない信念、将来を見据えた戦略を聴く。初回は戦後の混乱期に1メーカーの販売会社として創業以来、「公明正大の精神」を貫く山形パナソニック(山形市)の清野伸昭会長から話を伺った。

「企業― 社員人格の総和」

弊社の原点は、創業者の父源太郎が戦前から営んでいた電化製品の個人商店にある。戦後の急速な家電普及という大きなうねりの中で、父は自分たちがこの業界の発展に対応できるのかという強い危機感を抱いていた。メーカーと一体となって地域でお客さまの要望に応えるべきではないかと考え、多くのメーカーとの取引を整理し1952(昭和27)年に松下電器産業(現パナソニック)一社に絞った販売会社を設立するという大きな決断を下した。その背景には、同社を創業した松下幸之助との厚い親交があった。

山形ナショナル電器販売として松下電器の製品のみを扱う卸売りをスタートさせるに際し、創業時から役員として源太郎を支えた宮田和夫氏をはじめ、山形県内の販売店と社員の協力を得て、わずか20人体制で新たな歩みを進めたが、そこで痛感したのは「事業そのものが社会からのお預かりものである」ということ。決して私的なものであってはならない。だからこそ、社是に掲げる「公明正大の精神」で事業を行う必要がある。

その実践として、弊社は創業以来、部門別の月次決算を全社員に毎回公開する「ガラス張りの経営」を続けてきた。人事においても自己評価や自主申告を尊重し、上司と話し合いながら個人が能力を発揮できる場を探る。メーカーに対しては、地域の生の声や製品の評価を包み隠さず伝える姿勢を貫いてきた。過去に重大な問題に直面した際、メーカーと一体となって誠実に対応した経験は、今も組織の血肉となっている。

日々、新しい自分と組織に
「事業は人なり」は松下幸之助の言葉だが、それに加えて、源太郎が説いた「企業はそこに働く人々の人格の総和である」を信条としてきた。どんなに素晴らしい組織や商品であっても、それを扱うのは結局人間だ。社員が人生を懸けて働く場所なのだから、会社には「ここで働いて良かった」「人間的に成長できた」と言える風土をつくる責任がある。

人工知能(AI)が急速に発展し、地球温暖化で人を取り巻く環境が悪化している。利便性に依存して人間本来の力が失われていくことへの懸念を抱く。こうした激動の時代を生き抜くため、座右の銘としているのが中国の古典「大学」の一節、殷の湯王の言葉「苟に日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり」である。現状に甘んじることなく、新しい自分と組織に挑戦し続けること。それこそが次の時代を切り開く唯一の道だと信じている。

 AIにしても温暖化にしても、全ては人間が関わっていること。だからこそ肝心なのは人間教育にほかならない。技術がいくら発展しようとも、それに流されない正しい自然観や人間観を持ち、あくまで人間のための手法として主体的に活用する姿勢が不可欠だ。

鶴岡市羽黒町松ケ岡に戦後間もなく「東北農家研究所(現東北振興研修所)」を開設した菅原兵治の著「我づくり入門」から引用し、新入社員には働くことの意義を伝えている。働くことには経済的機能や社会的機能だけでなく、仕事を通じて自分を高める道徳的機能がある。その道徳的機能こそが教育の根幹であり、互いに高め合う原動力となる。

【プロフィル】
せいの・のぶあき 立教大卒業後の1965(昭和40)年に松下電器産業(現パナソニック)入社、69年に山形ナショナル電器販売(現山形パナソニック)入社。87年に社長、2013年に会長。山形経済同友会代表幹事、県商工会議所連合会長、県中小企業団体中央会副会長などを歴任。19年から斎藤茂吉記念館理事長を務める。08年に県産業賞、14年に三浦記念賞をそれぞれ受賞、19年に旭日中綬章。上山市出身、84歳。

【沿革】

1952年 3月
松下電器産業(現パナソニック)が製造する家庭電化製品を山形県内で一元的に卸売りすることを目的として、清野源太郎が「山形ナショナル電器販売」を設立。本社は山形市旅篭町

1963年 3月
照明器具、電設資材、住宅設備機器などを扱う会社として、山形ナショナル機器販売を設立する

1978年 3月
山形ナショナル機器販売を山形ナショナル機器に社名変更する

1982年 3月
製品の複合化に対応するとともに、流通の合理化、窓口の一元化を図るため、山形ナショナル電器販売と山形ナショナル機器の2社が合併し、松下グループ全商品を取り扱う総合販売会社として山形ナショナル電機が誕生。本社は山形市平清水1丁目。新会社の発足と創立30周年を祝う式典を挙行する

1987年 3月
創業者で社長の清野源太郎が会長に就き、長男で副社長の清野伸昭が社長に就任。創立35周年記念式典の席上、社長交代が発表された

2002年 3月
創立50周年記念式典。松下電器産業の松下正治相談役・名誉会長が来賓として出席し「松下グループの商品を全領域で扱っている販売会社は全国で山形ナショナルだけ。販売店と心が通じているからこそ」と祝辞

2004年 2月
創業者で相談役の清野源太郎が死去、91歳。県商工会議所連合会長、県経営者協会長、上山市教育委員長、斎藤茂吉記念館理事長などの要職を務めた。遺族が寄付した資金で上山市立図書館に翌年、有識者が選定した6641冊をそろえる「清野源太郎文庫」が完成した

2008年 10月
現在の山形パナソニックに社名を変更。下期決起大会の席上、社長清野伸昭は「パナソニックと理念を共にし、地域社会に貢献する心、感謝の心を学んでほしい」と訓示した。社名変更を記念し、社内報「和親」の表紙に社員と家族の顔写真を掲載した

2013年 6月
清野伸昭が会長、長男で副社長の清野寿啓が社長にそれぞれ就任

2020年 4月
仙台営業所(現東北支店仙台営業所)がスタート。翌年、現在の若林区卸町東1丁目に移転

2023年 3月
本社1階にナチュラルスローライフをテーマにした展示スペース「YP Park175」がオープン。サウナ、ハイブリッドバイクなどが並ぶ

https://y-panasonic.co.jp

この扉の向こうに、新しい山形を発見。